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検察審査会が起訴を決めるなら検察官はいらない

裁判員制度だとか検察審査会だとか、およそ国の根幹にかかわる話を市民に名を借りた素人に任せていたのでは国は亡ぶ。政治家に金がまつわるのは当たり前の話で、こんな政治資金管理団体の虚偽記載で政治家が、政治生命を断たれていたら日本に政治家は誰も居なくなってしまう。普通の人の考えで物事の尺度を図るのなら相撲で言えば審査会は審判員で行司である検察官が不起訴との軍配を上げたにもかかわらず、審判員の審査会が起訴相当としたのであるから軍配差し違えで、処断されるべきは小沢幹事長ではなく検察官ではなかろうか。しかし少なくとも検察官は法律の勉強をされたプロである。そのプロが素人の審判員に差し違えを指摘されるのであれば、プロは不要である。およそ風評などと言うものは根も葉もない浮草みたいなもので、皆がそう言えば濡れ衣はいくらでも着せられてしまう。しかも選挙を間近に控え、この問題がいつまでも燻ってしまえば、民主党としては冗談じゃないとの話となる。野党自民党だって人のことは言える立場にはないはずである。脛に傷のある人は一人や二人ではあるまい。小沢幹事長に暴れられたら自民党ばかりでなく創価学会の最高指導者の方だって国会喚問される恐れが出てくる。そうなれば日本の国はハチの巣をつついたような大騒ぎになる。一般国民には、そんなことまではわからない。政治の世界ばかりでなく世の中と言うものは裏が8割である。それぞれに国民にわからないところで落とし所を決めて動いているから、うまく回っているのである。スキャンダルなどで政治を動かそうとするのは最低の方法で、国民の望むところは、それぞれに国民のための政治を訴えて頂いて、政党間の勝負をしてもらいたいと思う。小沢幹事長に対する攻撃が、民主党の分裂による政界再編にあるとするならば、つまらぬ政治資金の話ばかりしていないで、正々堂々と意見を同じとする者同士で政界再編を行うべきだと思う。政治が司法に委縮していて国家の繁栄が図れるわけはない。スキャンダル合戦で勝とうとする方法は国士のやることではない。

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コメント

検察審査会が「起訴相当」と判断しただけで、検察審査会には、起訴する権限は、ありません。
(2回の「起訴相当」で「強制起訴」ができるようには、なりましたが、起訴する権限は、ありません。)
あくまで、検察に向けて、もう一度精査せよの発信で、小沢幹事長向けでは、ありません。
あたかも、小沢幹事長に向けて、起訴すると発信されたように言う、マスコミに騙されては、いけません。

素人が判断したということばかりクローズアップされていますが、「検察だけが正しい」ことにすると、検察が暴走する、あるいは、捜査の怠慢があるといけないので、検察に関係ない者が、検察に物申す機関として、検察審査会は、あるのです。
今までは、検察審査会の意見は、聞き置く格好で、概ね無視されることが多かったのです。
検察に物申す機関として存在していても、形ばかりで、実効は、薄かったのです。
それを、「2回で~」に法改正して、実効があがるようになったのです。

鳩山首相の「不起訴相当」も、検察審査会が出しています。
あちらのときは、どうして、そんなに、「素人が~」と問題にならなかったのでしょう?

投稿: 通行人 | 2010年4月30日 (金) 16時27分

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