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国籍を変えてまでオリンピックに出るべきではない

何か、皆さん勘違いしているのではなかろうか。国籍移動で好き勝手に競ってみたところで、何だ今度、日本が勝った種目は、出身は○○国の人かでは、勝利の喜びも湧かない。プロスポーツなら、それでいいかも知れないが、オリンピック競技の目的は、勝てばいいと言うものではないはずである。猫氏が、カンボジアのマラソン選手で、出場することが問題になっているようであるが、それはそうである。あるテレビの放送で「猫さん、本業は何ですか。」と聞かれて「はい、芸人です。」では、おい、それは無いだろうと誰でも思う。今まで、芸人でオリンピックに出た人がいるのであろうか。日本を代表する圧倒的に強い人は、芸人はやらずに競技一本で生きているはずである。それでも、天が、猫氏に、二物を与えているならともかく、カンボジアのマラソン選手に、7分(約2キロ)も差をつけられているのでは、カンボジアの代表は、猫氏ではない。こんなことばかりが、まかり通ればオリンピックは、オリンピックではなくなり、単なる世界の営利の見世物でしかなくなる。国家間で体力差や習熟度が違うのは仕方のないことで、だからと言ってメダルの取れない国が、何も犯罪でも犯しているわけではない。要は、勝敗ではなく、各々の選手が、精一杯頑張ったかどうかに美学があるのであり、そこに爽やかさがあるからオリンピックとして感動もするのである。勝った者が、負けた者の心を思いやる精神があるからこそ、真の友情も生まれるのである。ですから、私は負け惜しみで言うわけではないが、人様に、私個人が、勝ちたいなどと思ったことは一度もない。負けることは辛く、苦しいものであるが、しかし、私には、もしかしたら辛抱できるとの自負があるのかも知れない。私は、人様には、出来ることなら、この負ける辛さ、苦しさを、味あわせたくないと思う。だから私は、63年間、負けっぱなしである。それでも何とか生きている。負け続ける人生のいいところは、人様には妬まれないと言うことである。人間、とかく勝者ばかりやっているとロクなことはない。だから勝負と言うものは、死ぬ少し前に一度だけ勝てばいいのである。私の負け続けていることを知っている皆さんは、ここで最後に私が一度、勝ったからと言って、誰も僻んだり妬んだりはしないはずである。きっと、渋井さん良かったですねと言って、心から拍手を送ってくれるはずである。私も80才までは時間があり、勝つのは、まだ早い。だから、まだ負け続けるつもりでいる。何しろ私は、人様に勝ちを譲るのが大好きな人間なのである。人様の喜ぶ顔を見るのが楽しくて仕方がない。そんな、私ですから国籍を変えてまで、勝とうとする、その人間の、おぞましさが嫌なのである。人には言えないが、手抜きせずに、あぁ、勝って頂いて良かったと思える人様が増えれば、世の中、すべて争いなどなくなるはずである。そして、これがオリンピック精神なのである。

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