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訴訟社会は日本の文化ではない

とにかく煩わしい社会になったものである。何かにつけて直ぐ裁判沙汰になるものだから日本全体が委縮してしまい、毎日が息が詰まる生活で、本当に嫌になる。セクハラだの、パワハラだの、モンスターペアレントだのと日本にもかかわらず、やたらと横文字で責められるものだから、もういい加減に日本語で表現しろと言いたい。権利意識の高さには敬意も表するが、そんなに目くじらを立てる程のものか、よく考えろと怒りたくもなる。そして、又、簡単に何でも訴訟事案になるものだから、おい、それは無いだろうと誰もが戸惑っているのが今の日本社会である。日本人は、村社会、家族社会の農耕民族で、米国の様に根回しのない西部劇民族とは異なり、長老や顔役の下で、すべて話し合いで丸く収めてきたのである。その江戸の昔からの、話し合いが、関西国際空港の米国企業の参入問題から、いつしか談合と言う犯罪として扱われる様になってから日本社会は狂いだしたのである。米国では税理士や行政書士等は存在せず、すべて弁護士が対応しているので、あたかも弁護士が日本に少ない様に言われていたが、日本には弁護士は、そんなに必要ではないのです。司法制度改革で弁護士が増加したため、仕事にあぶれた多くの弁護士が、どこかの法律事務所の軒下を借りる、軒弁どころか、携帯電話だけの携弁だと言うのですから、もはや何をか、いわんやである。仕事がなければ、失礼だが、くだらない問題でも仕事にしようとするのは、どの道も一緒である。背に腹は代えられないからである。そして弁護士自身が犯罪に手を染める信じられない社会になってしまったのである。訴訟に基準があるわけがないが、それでも訴訟のための訴訟にはしたくはないものである。何故なら訴訟社会は日本の文化ではないからである。

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